漫歩マンの 遊歩会活動記録
2012.9.13(木)
四条畷神社から飯盛山・野崎観音 
(10月例会下見)
 
コース:四条畷バス停~四条畷神社~飯盛山~楠公寺~野崎観音~バス停野崎
10月例会の下見 参加者 山岸・海老沢・清水
遊歩の10月例会の下見を3人で歩いた。
まあ、なんと!いつまでも暑いのことよ!
8:56 中央線で生駒駅をスタート。 9:00 集合の予定だったが予定より早く集ったので、即電車に乗る。
新石切駅で下車して四条畷行きのバスに乗る(バス賃270円)。
9:45



 四条畷バス停で下車すると四条畷学園小学校があり、そこからウオーキング開始。

小学校なのに「私学」だからか、校門には○○高校合格○名、△△高校合格○名、等々ポスターが貼り出してあった。
 
四条畷学園小学校







10:00
 バス停からほんの15分ほどで四条畷神社に着く。
 
参道石段
 
石段を上りつめると 石の鳥居右に「有孚」、左に「顒若」とある。

読み方も意味も分からないので神社の巫女さんに尋ねた。

(まこと)ありて、ぎょうじゃくたり」と読む。 
意味は「手を洗い口を(すす)いで神前に(すす)んでお供えを捧げる前の澄んだ心は、誠があってその形は非常に厳かである」と。

要するに「手を洗い、口をすすいで厳かにお参りせよ」ということか。

顒若

有孚
 
 境内には楠公親子の「桜井の別れ」像。

説明板には

楠木正成公、死を覚悟の兵庫(湊川)出陣に当たり桜井駅(三島郡島本町)において11歳の我が子正行公との別れに「父の死後は足利氏の天下になるだろうが、どこまでも正統の天皇をお守りせよそれが父への孝行となるのだ」と諭し天皇から賜った短刀を与え身も心も我が子に伝えて出陣された

「忠孝両全」 忠=忠義、孝=孝行、両全=両方とも完全であること


とあった。
 
 
桜井の別れ






10:20
 神社を参拝し、小休憩の後飯盛山登山道に入る。

かなりの急登、暑さと年令のせいで汗はダラダラ。

休み休みゆっくり歩く。

登山道入り口
 
階段が続く






11:07
 50分ほど苦しんだら休憩所に到達した。

「ようやく山頂に着いた、やれやれ」 と思うもなんだかおかしい。
以前登ったときたしか山頂には楠木正行公の像があったはずだ。

首をかしげながら進む。
 
「飯盛山史跡」石碑
11:44 飯盛城石垣跡から八大龍王白滝大明神を経て楠公寺。

飯盛城石垣跡

八大龍王白滝大明神

楠公寺








11:57
 ようやくホンモノの飯盛山山頂に着いた。 正行公もいる。 昼食休憩30分。

おんな3人組の先客がいた。

そして何人かのハイカーも通って行く。
 
楠木正行公像
12:30

13:35



 午後は比較的楽に歩けた。

青少年野外活動センターへの看板を横目に見て、野崎観音への道標に沿って進む。

吊橋まで来るとゴールの野崎観音はすぐそこだ。

下り道
 
 
吊橋
13:35









 野崎観音到着。

ここの休憩所内には参拝客用にお茶の接待がある。

 野崎観音本堂
 
お染久松の塚
野崎観音は、福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。今から1300年ほど前、天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と行基様に申されました。感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。

本堂裏にはお染久松の塚があった。
お染久松のお話は本堂横の休憩所に絵物語が貼ってあった。
14:08 野崎観音から10分ほど下るとバス停野崎。
バスに乗車。
14:50

15:30
生駒駅鶏太郎で反省会。

お疲れさんでした。
本日のドアtoドアの総歩行数:21,010歩。
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