漫歩マンの 遊歩会活動記録
2012.10.9(火)
四条畷神社から飯盛山・野崎観音 
(10月例会本番)
 
コース:四条畷バス停~四条畷神社~楠公寺~飯盛山~野崎観音~バス停野崎
 10月例会行事 参加者 17名
A班 B班 C班 D班 E班
山岸・海老沢・小宮山・清水 足立・井上・水谷 上田・酒井・関川・西川・馬場 岡本・ 片山・川端・種井・堀下
今日のコースはかなり厳しいぞ、と思っていたが猛者は17名集った。
9:00 新石切駅集合。
9:19 新石切駅から四条畷行きのバスに乗る(バス賃270円)。
9:45

 四条畷バス停で下車すると四条畷学園小学校があり、そこからウオーキング開始。

 
四条畷学園小学校







10:00
 バス停からほんの15分ほどで四条畷神社に着く。
 
石段を上りつめると 石の鳥居右に「有孚」、左に「顒若」とある。

(まこと)ありて、ぎょうじゃくたり」と読む。 
意味は「手を洗い口を(すす)いで神前に(すす)んでお供えを捧げる前の澄んだ心は、誠があってその形は非常に厳かである」と。

要するに「手を洗い、口をすすいで厳かにお参りせよ」ということ。

顒若

有孚
 
 境内には楠公親子の「桜井の別れ」像。

説明板には

楠木正成公、死を覚悟の兵庫(湊川)出陣に当たり桜井駅(三島郡島本町)において11歳の我が子正行公との別れに「父の死後は足利氏の天下になるだろうが、どこまでも正統の天皇をお守りせよそれが父への孝行となるのだ」と諭し天皇から賜った短刀を与え身も心も我が子に伝えて出陣された

「忠孝両全」 忠=忠義、孝=孝行、両全=両方とも完全であること


とあった。
 
 
桜井の別れ




10:13


 神社を参拝し、小休憩の後飯盛山登山道に入る。

かなりの急登、暑さと年令のせいで汗はダラダラ。

マロはアンカーで休み休みゆっくりゆっくり歩く。

休憩していたら青息吐息の夫婦がいた。
亭主はこれで登れるのかな?と心配になるほどだった。

登山道入り口
 
階段が続く







10:53
 40分ほど苦しんだら休憩所に到達した。

でも、ここはまだ山頂ではない!

 
「飯盛山史跡」石碑
11:07 飯盛城石垣跡を見て楠公寺。

飯盛城石垣跡

楠公寺






11:15
 飯盛山山頂に着いた。 正行公もいる。 昼食休憩1時間。

いつものように女性群からコーヒー接待。

毎度すんまへん。

と、先ほどのへろへろ夫婦がやってきた。
失礼ながら、あんなへろへろでも、ゆっくり歩けば登れるものだ。
 
休憩中
 
楠木正行公像
 
全員集合
12:15

13:15
 午後はらくちんの下りのみ。

祠があったり、吊橋があったり


 
吊橋
13:15









 野崎観音到着。


 野崎観音本堂
 
お染久松の塚
野崎観音は、福聚山慈眼寺といい禅宗のお寺です。今から1300年ほど前、天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と行基様に申されました。感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。

「♯ 野崎参りは 屋形船でまいろ どこを向いても 菜の花盛り 粋な日笠にゃ 蝶々もとまる 呼んでみようか 土手の人」
↑ この歌、知ってるかな?

本堂裏にはお染久松の塚があった。


13:55
お寺の休憩所で休憩しながら、次回11月の例会について井上氏が説明する。
11月5日に「わたらい渓谷」に行こうということらしい。
14:09

15:30
 バス停野崎観音からバスに乗る。
石切神社前で何人かが下車して石切駅まで歩くという。

他のメンバーは新石切駅から生駒駅まで帰り、味楽座で反省会13名。

その後5名でピックリ通りの「シルバー」でワイン反省会。 このお店マロは気に入ったね。

お疲れさんでした。
 
 
シルバー店内
本日のドアtoドアの総歩行数:19,156歩。
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