漫歩マンの 遊歩会活動記録
 2012.9.5(水)
 清盛ゆかりの地、福原京・大輪田泊散策  
  コース:高速神戸駅〜荒田八幡神社〜賽神(さいのかみ)の松〜祇園神社〜雪見御所旧跡〜氷室神社〜熊野神社〜湊川公園〜厳島神社〜能福寺〜大輪田の石椋(いわくら)〜来迎寺〜和田岬駅  
 9月例会 参加者 18名
 E班 A班 B班 C班 D班
 片山・川端・種井 山岸・海老沢・小宮山・清水 足立・井上・水谷 上田・酒井・関川・西川・馬場 高橋・中西・宮本
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す
驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き者もついに滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」

                                    (平家物語上巻第一 祇園精舎の事冒頭部分より)

 保元平治の乱(1156年)、平治の乱(1159年)を経て平氏全盛へ。1180年6月、清盛は孫の安徳天皇を中心に、福原に新王朝の樹立を目指しますが11月には京都に遷都、樹立はならなかった。父忠盛の影響もあり大和田泊の港湾施設を整備して海外貿易を盛んにしたことは今日の神戸港の礎を築いたといえます。平氏の栄華と繁栄を偲びながら清盛の足跡を散策します。    −−−ゆうほ案内文より−−−

9:00 生駒駅に集合。18名集った。 快速三宮行きに乗り、、尼崎で乗り換え高速神戸駅まで行く。
10:17 高速神戸駅着。 ウオークスタート。
10:50








国道428号線有馬街道を進み、 荒田八幡神社着。

もう、暑い。街中で日陰がない!

【荒田八幡神社】
周辺はいわゆる福原の中心地で清盛の異母弟である池の大納言平頼盛が山荘を構えていた場所。
1180年安徳天皇が三種の神器と文武百官を従え頼盛の山荘を行在所(あんざいしょ)としたという。

安徳天皇行在所跡

荒田八幡神社
11:06
 荒田八幡神社から平野商店街へ進むとその入り口に平清盛像。
 
淨海入道清盛像
11:20 賽神の松を経て急な石段を登ると祇園神社。 暑い、シンドイ。

賽神の松の碑 
 
祇園神社の石段
 
祇園神社
【賽神の松】
大昔には、峠とか道の辻とか、旅人の通る道筋には道中の安全を守ってくれる神さまがまつられていた。そこには、なにか手向けをして通ることになっていた。平野の一本松から西北へ進んで、今の祇園神社の正門筋へ出る手前、上祇園町七に塞神の松があった。

【祇園神社】
牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。清盛はこの神社の裏山にあった
潮音山上伽寺(ちょうおんざんじょうかじ)で潮騒を聞きながら構想を練ったといわれる。

11:40






祇園神社から湊川の川沿いを歩いていると川向こうに「温泉」の幟が沢山立っている。
ここ「湊山温泉」は平安時代には存在し、すぐ近くにあった福原京の公家や平清盛などの武士も入浴したと言うが伝説の域を出ない。
 雪見の御所旧跡。 

【雪見の御所】
1168年、清盛は出家し、大和田泊を見下ろせる雪見御所に移り住む。
だが、これは「隠居」ではなかった。京にいる一族らを通じて、政界ににらみを利かせつつ、港湾施設の整備を着々と進め、宋船の瀬戸内海乗り入れを実現した。
71年には、娘徳子を高倉天皇に嫁がせ、天皇の外戚となるなど独裁政権を確立する。



 
雪見の御所旧跡
11:53
 夢野八幡神社。

夢野八幡神社 
 12:05  夢野八幡神社から急坂を登る。 汗がダラダラ。そして氷室神社にたどり着く。
ひむろというからには涼しいだろうなと期待して覗きにいくも、特に涼しくもない。

氷室神社 
 
氷室の跡
【氷室神社】
氷室の名の由来は、日本書紀によると1600年ほど前、仁徳天皇の異母兄に当たる
額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかのひこのみこ)がこの地で狩をしていた時、洞窟を発見した。村長に「冬に取った氷を萱草で包んでおくと、夏になってもこの氷を使える」と聞き、仁徳天皇に氷を献上したことからきており、これより後、仁徳天皇を祀って創建されたと伝えられている。
清盛が安芸の国宮島から勧請したという弁財天も祭られている。
一の谷の戦いでは教盛の次男、教経の陣所だったと伝えられる。

12:21





 熊野神社。

【熊野神社】
福原遷都の際、清盛は新都の鎮護を願って数多くの寺院や神社を祀りました。
中でも熊野神社は、後白河法皇の崇敬の篤い紀州熊野権現を勧請し、紀州同様に巽(南東)向きに奉鎮した特別な存在。


熊野神社 
12:45 ダラダラとコンクリート道を歩いていると、もう疲れ果てて足は棒。
ようやく湊川公園で昼食休憩、40分。 食後は例によって女性陣からコーヒー接待。 おやつ続々。 
 13:41



 厳島神社。

【厳島神社】
平清盛が勧請した兵庫七弁天のひとつ。
 

14:00



 兵庫大仏。

奈良・鎌倉の大仏さんとともに日本三大仏の一つという。
座高11メートル、地上から18メートル
 
兵庫大仏
 14:14









 古代大輪田泊の石椋(いわくら) 。

港神戸のルーツ・大和田泊の石椋は古代の工事に使われた巨石で、この巨石を積み上げて堤をつくったと推測される。

平清盛は日宋貿易の利益に目をつけ、応保元年(1161)から人工島(経ヶ島)を造営するなどの大修築工事を行い、さらに発展させた。
鎌倉時代以降は「兵庫の津」と呼ばれ、室町時代には勘合貿易で、江戸時代には北前船で賑わう。
石椋は新川運河浚渫工事のときに発見された。

大輪田泊の石椋 
 14:32



 岩椋から大輪田のほうへ足を進める。

清盛塚、琵琶塚。

清盛の死語100年以上経った1286年に時の執権・北条貞時が清盛を弔うため建立したと伝わる。
高さ 8.5mの石造十三重の塔は県の重要文化財に指定。
 
清盛塚
14:54





 ウオーク最後は和田神社。

1173(承安3)年平清盛公は日宋貿易の拠点とするために、奈良時代行基上人の手によって開かれていた大和田泊の改修整備を行いましたが、その際とても工事が難航した。
そのため平清盛公は、この一大港湾整備事業の完成と兵庫津の繁栄を祈願して、安芸国・宮島より
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)勧請しました。 


16:45

17:40
 和田神社でウオークを終了して、和田岬駅から三宮に出、阪神電車で生駒へ・・・。

生駒駅では15名が反省会を「鶏太郎」で。
本日のドアtoドアの総歩行数:26,352歩。
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