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2008.10.8(水) | 伏見の酒蔵巡り | |||
コース | J丹波橋駅〜明治・昭憲皇太后陵〜御香宮〜源空寺〜伏見港公園〜寺田屋〜長建寺〜月桂冠大蔵記念館〜桃山御陵前駅 |
電車行程 | 生駒駅 | ⇒ 快速急行 |
西大寺駅 | ⇒ 急行 |
丹波橋駅 |
8:36 | 8:45〜8:54 | 9:12 |
4年生のみの仲間ハイク、参加者は男子13名女子7名の計20名。 |
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9:30 | 丹波橋駅をスタート。
近くの小学校では運動会をやっている。 |
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9:40 | 松並木の参道を行くと、第50代・桓武天皇陵。
一説によるとここは桓武天皇陵の遺構である証拠は全くない、とのこと。真の陵は明治天皇陵の背後の丘陵頂部(伏見城二の丸跡)であるという。 「これが○○天皇陵だ」と宮内庁が主張していたが、「それは違う」と主張する学者の説、と食い違う天皇陵は結構ある。 ここのほかに15代応神天皇、18代反正天皇、19代允恭天皇、21代雄略天皇、23代顕宗天皇、25代武烈天皇、26代継体天皇、58代光孝天皇、85代仲恭天皇の計10天皇陵をついに宮内庁もそれを認めた。 (2005.5.8読売新聞)⇒「漫歩マンの大和の天皇陵を訪ねて」表紙⇒クリック⇒http://mannpomann.kt.fc2.com/ |
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10:04 | 桓武天皇陵から木陰道を逆行すると、第122代・明治天皇陵。 参拝して後ろを向くと伏見の街が遠望できる。ここまで登る本道は23段×10の230段の石段だ。
1852.11.3(現在の文化の日)に誕生、15歳にして天皇位即位。明治45年7月30日61歳で崩御。 |
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10:10 | 明治天皇陵のお隣には、昭憲皇大后陵。
夫婦揃ってこんもりとした土饅頭型の御陵だ。 |
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10:30 | 乃木神社。
当神社は宇多源氏第八皇子敦賀親王の後裔佐々木四郎高綱の子孫にある乃木希典を祭神とする。 明治天皇桃山御陵の点し南面に対して北面の武士として殉死して尚侍らうという意味をもって 当時京阪電鉄の取締役であった村野山人翁をはじめ全国崇敬者により大正5年9月13日創建されました。 ≪神社案内板より≫ |
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10:54 | 府社御香宮神社。 たまたま、今日は御幸祭で露天業者が沢山並んでいる。 境内の「御香水」は名水百選に認定。今も途切れることなく湧き出ており、この水が伏見の酒を造り出す由。
先日恩智駅から信貴山へ歩いたときに府社恩智神社があった。同じ“府社”と言う文字が気になり社務所の人に「府社ってどういう意味ですか?」と尋ねると、「社格です。明治時代に官幣大社・府社・県社・郷社等に分けられました」と。 |
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11:15 | 大手筋商店街の中ほどで右折するとすぐのところに源空寺。
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11:35 | 源空寺からまた大手筋商店街に戻り商店街を抜ける。 商店街のはずれには芋とか野菜とかをとっても安く売っている店がある。 |
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12:10 | 宇治川派流、伏見港公園で昼食。
昼食した少し先には三十石船風の休憩所があった。 江戸時代、大阪〜京都船賃は50文だったという、今の値段でいくらかな? |
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13:00 | 寺田屋。
何人かが中に入り見学。何度か入っているのでマロは外で待つ。 |
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13:25 | 黄桜株式会社。 懐かしい清水昆の「カッパ」、なんともほほえましい、嫌味のない軽やかな色気。 お土産に冷酒を1本買う。
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13:45 | 長建寺。 |
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13:50 | 月桂冠大倉記念館。 ここは300円の有料。マロにとっては黄桜の無料のほうがいい。
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14:30 | 魚三楼。 鳥羽伏見の戦いの際の弾痕が連子格子に残っている。
今日のウオークはここまで。 桃山御陵前駅まではすぐそば。 少々暑いことは暑かったが、タオルを絞るほどの汗も出ず結構な一日でした。 コースを設定していただいた世話役の方ありがとう。 見所沢山のコースでした。 |
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15:40 〜 16:30 |
生駒駅では例によって味楽座での反省会。17名もの多数参加でした。 卒業旅行のこと、忘年会・新年会のこと、卒業後の○○会発足のこと、はたまたノーベル賞の学術的な話題等々楽しいひとときでした。 また、次回が楽しみです。 |
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本日のドアtoドアの総歩行数:約23,000歩。 |