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 漫歩マンの寿大学活動記録
2008.10.16(木) 太子町歴史の道ウオーク
コース J上ノ太子駅〜観音塚古墳〜飛鳥戸神社〜壺井八幡宮〜通法寺跡(昼食)〜源氏三代墓〜敏達陵〜叡福寺〜上ノ太子駅
電車行程 生駒駅
快速急行
西大寺駅
橿原神宮前駅駅
尺土
上ノ太子駅
8:23 8:41〜8:54 9:12〜9:30 9:38〜9:41 9:54
今回訪れる太子町は、二上山の西斜面より石川流域の平坦部を含む丘陵地帯に広がり、古代文化の発祥地であったと言われています。
古の時代、飛鳥と呼ばれる地が河内と飛鳥にあり、難波から見て近いほうの河内の飛鳥を「近つ飛鳥」、遠いほうの大和の飛鳥を「遠つ飛鳥」と称していました。
今回のコースは渡来人が活躍した古代、聖徳太子の飛鳥時代、清和源氏が歴史の舞台に顔をのぞかせた平安時代、その三つの史跡が数多く残る太子町の歴史の道を巡ります。
コースは全般に多少アップダウンのある丘陵地帯を、古い町並みの中や、収穫を終えたブドウ畑を随所に見ながら曲がりくねった狭い車道を主に歩きます。(片山班長の案内文より)
10:00 上ノ太子駅にはすでに宮本氏が待っていた。
これで本日の参加者数は4年生は24名(欠席吉野さん)、3年生は14名(21名中)の計38名。

駅前には竹内街道標石。準備体操をして、観音塚古墳へ向けてスタート。

竹内街道標石

準備体操

竹内街道は、大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26kmの街道で推古天皇時代の日本最古の官道である。
10:20 ブドウ畑を横に見ながら急な石段をフーフー登ると観音塚古墳。

ブドウ畑の横を歩く

石段の上に

観音塚古墳

観音塚古墳は大阪府羽曳野市にある。7世紀中頃の代表的な終末期古墳。国指定史跡となっている。現在、尾根頂部からやや下った中腹にあるが、下からの遊歩道が整備される。
周囲には飛鳥千塚と呼ぶ小形円墳を中心とした古墳群が広がり、観音塚古墳もその中の一つである。


途中、ブドウ畑にスミチオンか何か農薬を撒いている。くさい。農家の人は鼻を塞ぎもせず平気な顔だ。
10:35 飛鳥戸神社。

飛鳥戸神社は、飛鳥上の段の一角に鎮座する延喜式内の名神大社であり、雄略朝に渡来伝承を持つ百済系飛鳥戸造一族の祖神である「飛鳥大神(百済のコン伎王)」を祭っている。

飛鳥戸神社

飛鳥戸神社
11:05 壺井八幡宮。

ここに着くと上之宮高校の30人ほどの学生が神主さんの説明を神妙に聞いている。
その話しを横で盗み聞きすると「当神社の祭神は源の三代、すなわち源頼信公 頼義公 義家公であり“人”が神様になられたので“権現”というと。

神主さんが説明

壺井権現

境内には樹齢約1000年の楠の木

神社の前には壺井の清泉。
清泉とはいうものの水は湧き出ていない。腐ったたまり水。

壺井の清泉
前9年の役の天喜5年(1057年)6月7日、頼義公・義家公父子が賊と戦うとき、大干ばつにて飲料水乏しく、まさに敗北せんとするときに、大将頼義公は、下馬脱甲合掌、干天に祈って「諸軍渇に堪えかね、将に敗せんとす。伏して願わくば軍中に、水を得さしめ給え、帰命頂礼八幡大菩薩南無通法救世大士、擁護の手垂れ給え。」と、申されしばらく礼拝された後、自ら弓矢をもって岸壁を穿ち給えば、そこより清水湧き出し、熱渇は、たちどころに除かれた。
これにより、諸軍は、大いに勢いを得、遂に賊を誅伏することができた。
因って、凱旋の際、この清水を壺に入れて持ち帰り、地域内に井戸を掘り、井底に壺を埋めて、壺井水と称した。
壺井水の井戸は、現在も完全に保存されており、最近まで飲料水として利用されていた。

11:30 壺井八幡宮のすぐ隣には通法寺跡。 広場の端には源頼義朝臣の墓。

寺の沿革は、『通法寺興廃記』によれば長久4年(1043)源頼義が仁海谷で千手観音像を発見し、居館の南に精舎を建立し通法寺と号したのがはじまりと伝えられています。しかし、永徳年間(1381〜84)には堂が雨露のため朽ち、かなり興廃していました。さらに平氏全盛期になると退廃したが、元禄13年(1700)、徳川綱吉は諸堂宇を再建しました。しかしながら、再建された通法寺も明治6年(1873)に門、鐘楼以外は取り壊されました。

立派な門構えがあるが、中には建物はなし。
中は広場になっており、ここで昼食。今日はとてもいい天気なので上に着ていた長袖を脱いで半そでのまま食事をしていたら気がつかないうちに蚊にやられて両腕の痒いのことよ。

通法寺跡の門

源頼義朝臣の墓

食後、集合記念写真。
ビデオ撮影ではコメントを吹き込むために何人かが4年間の思い出を話した。
みんな楽しい思い出を持っていた。
12:35 通法寺跡の隣には義家、頼信の墓。

源頼信の墓

源義家の墓

足元には大きなドングリがいっぱい落ちている。高谷氏水谷氏ほかみんな拾っている。
12:55 泥掛地蔵を経てブドウ畑の取り残しのブドウを見ながら、

泥掛地蔵

取り残しのブドウ
13:10 敏達天皇(第30代)陵。

敏達(ビダツ)天皇陵

敏達天皇陵
13:45 西方院。
ここには聖徳太子の乳母三尼公の廟所。

三尼公の廟所

三尼公の墓
13:50 三尼公の廟所からトロトロと坂を下ると叡福寺。

叡福寺

叡福寺本堂

推古天皇皇太子聖徳太子の墓

太子・太子の母・太子の后、三骨一廟

三骨一廟については井上氏が教えてくれた。

ここで又足立氏のカメラで記念撮影。
14:55 叡福寺での参拝を終え、磯長(シナガ)小学校を経て竹内街道を散策気分でしばらく歩くとスタート地点の上ノ太子駅にゴール。
橿原神宮前駅構内にて第1次反省会をコーヒーで。
17:10 生駒駅について本格反省会をいつもの味楽座に向かうと今日は木曜日のためお休み。
すったもんだ別の店を探しているうちに反省メンバーは井上・西川・堀下・中西・清水の5名だけになってしまった。
「廣瀬」という割烹やで本格反省。

老後のこと、寿命のこと、卒業旅行のこと等々バカとかアホとか言い合いながら楽しく過ごした。
18:50
自宅帰着。
いい天気に恵まれ有意義な一日でした。
本日のドアtoドアの総歩行数:約23,000歩。
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