漫歩マンの寿大学活動記録
2006.6.13(火) 2年生 第3回目  斑鳩三塔
前回5月23日の「生駒北部」のハイキングは都合により欠席した。
今回は2年生3回目の「斑鳩三塔」。
コース
近鉄王寺駅 9:00
   ↓
上宮遺跡公園 9:45
   ↓
中宮寺跡 10:00
   ↓
法起寺(ホウキジ) 10:35
   ↓
法輪寺 10:50
   ↓
法隆寺東院(夢殿) 11:20
   ↓
昼食 11:30〜12:30
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法隆寺西院伽藍 12:40
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ウォーナー塔 14:20
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藤ノ木古墳 14:35
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龍田神社 14:50
   ↓
吉田寺 15:10
   ↓
竜田川駅 15:50
入梅したけれど雨の心配はなさそうな天候。
自宅を8時にスタート、駅に向かって歩き始めると汗がジワーッと出てくる。

タオルを忘れた。

王寺行きの電車に乗ると、宮本氏と一緒になった。
彼は山のクラブにも入っていて月2回は山に行っているそうだ。ポンポン山とかの低山が多いらしい。
ゴルフは年に3〜4回飛鳥ゴルフに行っているとか・・・。

王寺駅の集合前
王寺駅に集合すると、9:27発のバスで中宮寺前まで行く。(270円)
ここは斑鳩町のふるさと創生事業の一環として進めている「歴史街道ネットワーク事業」の歴史散歩道“太子ロマンの道”の拠点として創られた。
我々で満員のバスから降り交通量の多い25号線を横断して、上宮遺跡公園から中宮寺跡へ。

法起寺:池後寺または岡本寺とも呼ばれ、太子建立の7ケ寺の一つ。創建当時の建物は日本最古・最大の三重塔(国宝)だけである。高さ23.09m。 

法起寺

法起寺三重塔

法輪寺:斑鳩の北の端、三井(みい)の里にある法輪寺は、聖徳太子の御子 山背大兄王創建とも伝えられ、飛鳥時代の仏像と、昭和五十年再建の飛鳥様式の三重塔で知られています。

法輪寺三重塔
法起寺、法輪寺を後にすると夢殿に着く。

夢殿から約48名の我々を6班に分け、それぞれの班にボランティアガイドがついて説明をしていただく。
夢殿:夢殿というロマンチックな名称は、聖徳太子の夢に仏が現れて、経典の疑義を解いたという伝説にちなむとされています。天平11年(739)、太子の斑鳩宮跡に僧都・行信が八角円堂を建立し、太子を供養したのがこの上宮王院夢殿です。

夢殿
夢殿の説明を受けて、昼食タイム、1時間10分。

法隆寺では修学旅行生の団体で境内は賑やかなこと。

修学旅行生の団体

仁王門阿像

仁王門吽像

五重塔

1300年の歴史の柱

法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。その創建の由来は、「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができます。

それによりますと、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。

現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。

このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。


14:20まで法隆寺を見学すると随分疲れる。
法隆寺の裏手にウォーナー塔というのがあった。

ウォーナー塔:第2次大戦中「奈良と京都には一発の爆弾も落としてはいけない」とルーズベルト大統領に直訴したといわているアメリカ人の碑。

ウォーナー塔
藤ノ木古墳では説明を終えた我6班のガイドさん、ここでおしまい。
藤ノ木古墳  [遺跡・史跡]
法隆寺の西にある直径50m以上、高さ9mの大型円墳。6世紀後半の築造とみられる。1985年(昭和60)の発掘調査で未盗掘の家形石棺や豪華な金銅製馬具(国宝)が出土。1988年(昭和63)に開棺され、2体の人骨や筒形銅製品、大刀、大きな履、冠などが見つかった。被葬者は膳[かしわで]氏、穴穂部皇子[あなほべのみこ]説などさまざま。出土品は橿原考古学研究所附属博物館で展示。

藤ノ木古墳

藤ノ木古墳から龍田神社まで25号線と平行している奈良街道を歩く。昔は商店街として賑やかだったろうと想像する。
龍田神社:社伝によると、法隆寺建立に際し当社祭神の神託により寺地を選定、当社を鎮守社としたという。三郷町にある龍田大社を本宮というのに対し当社を龍田新宮と称している。

龍田神社
最後は吉田寺。
一名ぽっくり寺とも言われ、本尊前で祈祷を受けた腹巻を着用すると、腰下の世話にならずに往生できると信じられ、多くの参拝者がある。
天智天皇の勅願で、妹の間人皇女(ハシヒトノヒメミコ)(孝徳天皇皇后)の陵寺であったが、、さらに恵心僧都源信が別に一寺を建立したという。
多宝塔は国重文で大和では唯一のものである。


吉田寺

吉田寺多宝塔
吉田寺で解散。
そばのバス停まで歩くグループ、近鉄竜田川駅まで歩くグループに分かれる。
竜田川駅まで歩いたが、40分ほどかかった。駅ではちょうどタイミングよく電車が来た。
自宅帰着:17:00。本日の総歩行数:約23,000歩。
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