漫歩マンの寿大学活動記録 | ||
2006.6.13(火) | 2年生 第3回目 斑鳩三塔 |
前回5月23日の「生駒北部」のハイキングは都合により欠席した。 今回は2年生3回目の「斑鳩三塔」。 |
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入梅したけれど雨の心配はなさそうな天候。 自宅を8時にスタート、駅に向かって歩き始めると汗がジワーッと出てくる。 タオルを忘れた。 王寺行きの電車に乗ると、宮本氏と一緒になった。 彼は山のクラブにも入っていて月2回は山に行っているそうだ。ポンポン山とかの低山が多いらしい。 ゴルフは年に3〜4回飛鳥ゴルフに行っているとか・・・。
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我々で満員のバスから降り交通量の多い25号線を横断して、上宮遺跡公園から中宮寺跡へ。 法起寺:池後寺または岡本寺とも呼ばれ、太子建立の7ケ寺の一つ。創建当時の建物は日本最古・最大の三重塔(国宝)だけである。高さ23.09m。
法輪寺:斑鳩の北の端、三井(みい)の里にある法輪寺は、聖徳太子の御子 山背大兄王創建とも伝えられ、飛鳥時代の仏像と、昭和五十年再建の飛鳥様式の三重塔で知られています。
夢殿から約48名の我々を6班に分け、それぞれの班にボランティアガイドがついて説明をしていただく。 夢殿:夢殿というロマンチックな名称は、聖徳太子の夢に仏が現れて、経典の疑義を解いたという伝説にちなむとされています。天平11年(739)、太子の斑鳩宮跡に僧都・行信が八角円堂を建立し、太子を供養したのがこの上宮王院夢殿です。
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夢殿の説明を受けて、昼食タイム、1時間10分。 法隆寺では修学旅行生の団体で境内は賑やかなこと。
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14:20まで法隆寺を見学すると随分疲れる。 法隆寺の裏手にウォーナー塔というのがあった。 ウォーナー塔:第2次大戦中「奈良と京都には一発の爆弾も落としてはいけない」とルーズベルト大統領に直訴したといわているアメリカ人の碑。
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藤ノ木古墳では説明を終えた我6班のガイドさん、ここでおしまい。 藤ノ木古墳 [遺跡・史跡]: 法隆寺の西にある直径50m以上、高さ9mの大型円墳。6世紀後半の築造とみられる。1985年(昭和60)の発掘調査で未盗掘の家形石棺や豪華な金銅製馬具(国宝)が出土。1988年(昭和63)に開棺され、2体の人骨や筒形銅製品、大刀、大きな履、冠などが見つかった。被葬者は膳[かしわで]氏、穴穂部皇子[あなほべのみこ]説などさまざま。出土品は橿原考古学研究所附属博物館で展示。
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藤ノ木古墳から龍田神社まで25号線と平行している奈良街道を歩く。昔は商店街として賑やかだったろうと想像する。 龍田神社:社伝によると、法隆寺建立に際し当社祭神の神託により寺地を選定、当社を鎮守社としたという。三郷町にある龍田大社を本宮というのに対し当社を龍田新宮と称している。
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最後は吉田寺。 一名ぽっくり寺とも言われ、本尊前で祈祷を受けた腹巻を着用すると、腰下の世話にならずに往生できると信じられ、多くの参拝者がある。 天智天皇の勅願で、妹の間人皇女(ハシヒトノヒメミコ)(孝徳天皇皇后)の陵寺であったが、、さらに恵心僧都源信が別に一寺を建立したという。 多宝塔は国重文で大和では唯一のものである。
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吉田寺で解散。 そばのバス停まで歩くグループ、近鉄竜田川駅まで歩くグループに分かれる。 竜田川駅まで歩いたが、40分ほどかかった。駅ではちょうどタイミングよく電車が来た。 |
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自宅帰着:17:00。本日の総歩行数:約23,000歩。 |