漫歩マンの寿大学活動記録 |
|
2回目 | 2005.5.24(火) | 生駒南部 |
8:00 | 今日は少し早めに自宅を出た。 | ||||||||
8:31 | 生駒駅発。 | ||||||||
9:10 | 菜畑駅発。人数が少なく感じられる。1年生21名、2年生24名とのこと。 | ||||||||
9:30 | 福祉センター着。障害者の福祉施設だ。 この後で2年生の門脇氏と話す。彼は3年生の渕崎氏と友達。ふれあいセンターで渕崎・門脇氏と会ったことがあり彼が覚えてくれていた。 また、彼は生涯学習のビデオをやっているとか、そのパソコン編集で忙しいらしい。 |
||||||||
10:15 | 一行山称名寺を経て有間皇子邸跡着。 案内リーダーですら道に迷ったほどの細い道を農家のおじさんに道を教えてもらながら小山(近所の人は「ミコヤマ」というらしい)を登ると「これが・・・?」と思うほどの石が並べられている。 「生駒市として案内板を出したりもう少しちゃんとしては・・・。」との生徒からの声が聞こえる。 有間皇子邸跡を後にして歩くと一分駅がすぐそばだった。 有間皇子:孝徳天皇の皇子。7世紀の中ごろ斉明天皇のとき、皇位継承の争いに巻き込まれ処刑された。 辞世の歌2首が万葉集に収められている。 「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(巻2-142) 「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば またかへり見む」(巻2-141)
|
||||||||
10:30 | 往馬神社。ここで集合記念写真撮影。 主祭神:伊古麻都比古命いこまつひこ、 伊古麻都比売命いこまつひめ。 祭神:気長足比売尊おきながたらし(神功皇后)、 足仲津比古尊たらしなかつひこ(仲哀14天皇)、 誉田別尊ほんだわけ(応神天皇)、 葛城高額姫命かつらぎたかぬか(神功母)、 気長宿祢王命おきながすくねおう(神功父)。 生駒山頂の真東の麓にあり、古来より生駒山を神体とする祭祀の場所であった。 古くから火の神として崇敬され歴代の大嘗祭に用いられる火きり木(うわみず(みぞ)桜)を献上している。10月10、11の例祭は壮大な火祭りとして、古来より[龍田]の風神祭、[広瀬]の水神祭ともに深い信仰を集めている。
|
||||||||
11:00 | 竹林寺。 予定の時間より少し遅れて着いたらしい。説明のため待ってくれていたが、われわれの到着が遅いので家に帰ってしまっていた住職の奥さんにもう一度出直してもらい説明を受ける。 写真の本堂は戸が閉まっているが、開放して中に入れてもらう。 同級生の馬場さんはここ有里に住んでいる人だが、「入るのは初めて」と言っていた。 竹林寺は奈良時代の僧行基(668〜749)の開基と伝えられます。 行基は律令制のもと重税に苦しむ庶民に仏教を広め、大仏造立、架橋、築堤などの社会事業に努めました。 境内の行基の墓は国指定史跡で、ほかに鎌倉時代の僧・忍性の墓や石造物などがあります。
|
||||||||
11:35 | 圓福時。 若いけれどなかなかの話し上手なお坊さんのお話が聞けた。 「たまたま、2005.5.17(火)の朝日新聞に載った。」と言ってそのコピーを頂戴したが、その記事(隠れ古社寺気まま旅)にはここ圓福時が詳しく紹介されていた。 竹林寺の南西にあって、寺伝では天平勝宝年間(749〜57)に創建したとされています。 室町時代初期の建築といわれ、重要文化財に指定されている本堂は、 住宅風の外観が簡素で優雅な雰囲気を漂わせています。 本堂内部には平安後期の作とされる木造十一面観音立像が安置されています。 宝篋印塔は、その内部に経巻を納めたものです。円福寺の塔は、本堂前に、 南北に2基並んで立っている花崗岩でできています。北側の塔には永仁元年(1293)の銘があり、 南塔も同じ時代の作とされています。いずれも鎌倉時代の典型的な石塔の形で、 重要文化財に指定されています。
|
||||||||
12:00 | 往生院。 僧行基を火葬したところだとか。 |
||||||||
12:20 | 南コミュニティーセンターで昼食。 | ||||||||
13:20 | 美努岡萬墓(ミノノオカマロ)。 生駒南中学校の西の住宅地青山台の丘の上に美努連岡麻呂(みぬのむらじおかまろ)の墓があります。明治の初めにこの地から銅板墓誌銘が発見され、美努連岡麻呂の火葬墓であることがわかりました。その墓誌銘や続日本紀によると、美努連岡麻呂は霊亀2年(716年)に従5位下を授けられ、大宝元年(701年)に唐に使いし、神亀5年(728年)、67歳で逝去した人です。この氏の人は外交関係のことに従った人が多く、渡来人系の人々とともに叙位にあずかり、それらの人々と共に造(みやつこ)姓を授かっています。 この火葬墓は山辺郡都祁村の小治田安万呂の墓や、すでに渡来人であることが知れている宇陀郡榛原町の文弥麻呂の墓などと比較して検討すべきものだと思われます。 |
||||||||
13:40 | 宝憧寺。 ここも話し上手なお坊さん。一緒に般若心経を唱えさせられた後いろんなご説明。 生駒市小平尾町の山の麓にある宝幢寺も、行基が創建したと伝えられています。本尊は地蔵菩薩(室町時代)です。 低い石段を登ったところに東面して建つ本堂は重要文化財に指定されています。桁行間・梁間5間・単層入母屋造瓦葺の鎌倉中期以降の手法を伝えた建物で、鎌倉末期から室町初期の建築であると思われます。内陣の須弥壇の左右両側には釈迦十六善神と普賢十羅刹女が描かれています。本堂向拝の柱石には鎌倉時代と思われる反花が刻まれています。 その他、境内には室町時代の宝篋印塔や名号板碑などの石造文化財があります。
|
||||||||
14:30 | 庚申堂。
|
||||||||
14:40 | 南生駒駅そばで解散。 | ||||||||
15:30 | 自宅帰着。本日の総歩数:22,818歩、総歩行距離:約15.4Km。 |