漫歩マンの 遊歩会活動記録
2012.11.21(水)
持統天皇一家が集う佐保路散策
(にしき会17回行事)

コース:  近鉄奈良駅~聖武天皇陵~光明皇后陵~北山十八軒戸~般若寺~植村牧場~奈良豆比古(ならつひこ)神社~ 
元明天皇陵~元正天皇陵~鴻ノ池運動公園~興福院(こんぶいん)~大仏鉄道跡碑~奈良駅

 参加者 11名 / 全員 37名
A班 B班 C班 D班 E班
海老沢・清水 橋野 上田・酒井・関川・馬場 岡本・ 片山・川端・種井
 宮殿もそして陵墓も明日香にある持統天皇がここ佐保の地に存在感を示すのは、他でもない、
大津皇子を忙殺してまで擁立したかった草壁皇子がまさかの早世。
そこで草壁直系の皇子へ継ぐことに切り替え、自ら天皇(持統)に就いて孫の文武(天皇)へ。
更に曾孫の聖武(天皇)へは祖母(元明)・伯母(元正)が動員されるという執念をみせた。
だが、聖武は皇太子に恵まれず、娘が孝謙・称徳天皇として立ったが持統の夢はここで断たれた。
佐保には平城京を舞台に執念を燃やした持統一家が静かに眠っている。
桓武天皇はこの都をあっさり捨てた。 ・・・・・・(にしき会案内文より)

9:20



 近鉄奈良駅行基菩薩像前集合。 にしき会全員で37名、我々27期生は11名。

すぐに東向商店街北通りを北へ抜ける。
 
東向商店街北通り

9:33

 奈良女子大前を通り、佐保川沿いを歩き

奈良女子大 
 
佐保川

9:42
(45代)聖武天皇陵。 そしてお隣には仁正皇太后(光明皇后)陵。

佐保山陵表札

聖武天皇陵

仁正皇太后陵
説明役の田中さんが各所で詳しく説明してくれているが、耳の右から左へさあーっ。

ともあれこの時代、疫病が蔓延したらしく、聖武天皇は縁起を担いで都をあちこち建設した。 恭仁京(くにのみや)信楽京(しがらきのみや)浪速京(なにわのみや)など。
また全国各地に国分寺を造らせ、大元の奈良には大仏建立。 庶民はその負担に泣かされたらしい。
参考:http://mannpomann.kt.fc2.com/41jitou-45.htm#41
10:34







 北山十八軒戸(きたやまじゅうはちけんと)

鎌倉時代、寛元元年(1243年)西大寺の忍性によってつくられた、ハンセン病などの重病者を保護・救済した福祉施設。

内部は18室に区切られているという。


  北山十八軒戸

10:54 十八軒戸から更に北へ進むと右手にコスモスで有名な般若寺。 
その向かいに植村牧場。 植村牧場は知的障害者を雇用しているとNHKで報道しているのを見たことがある。
柵のそばでカメラを構えていたら二頭の牛が近寄ってきてなんだか怖かったよ。
 
般若寺
 
植村牧場

11:14  般若寺からまだ北へ進むと奈良豆比古(ならつひこ)神社。

10月8日宵宮に行なわれる無形文化財の翁舞は能楽の源流だという。
また、本殿の裏にある大樟の木は樹齢1000年以上だという。

奈良豆比古神社
 
能の奉納額

 
大樟の木

 高札場
神社の隣には高札場があり、そのうちの一つには「バテレンの訴人には銀500枚」とあった。 キリシタンを見つけて訴えたら「ごほうび」とあった。

11:58 (43代)元明天皇陵、父は天智天皇。 そして国道を横切って(44代)元正天皇陵、父は草壁の皇子。
この辺の血縁関係は田中さんが何度も説明してくれた。(当ページ冒頭の案内文参照)

 元明天皇陵
 
元正天皇陵
元明・元正天皇とも女帝でわが国には女帝が推古天皇に始まり、8代10人いる。
12:30



 元正天皇陵から南へドリームランド跡前を進み、鴻池運動公園にて昼食(40分)、記念撮影。

例によって皆さんからコーヒー接待、おやつ接待、売るほどいただきました。
ありがとう。
 
 
鴻池運動公園
13:43



 食後法蓮町あたりで酒井氏が「渞」という字の表札のお家を教えてくれた。

みなさん読めますか? ミナモトさんです。

参考:http://web1.kcn.jp/mannpomann/hyousatu.htm
 
 
「ミナモト」さん

13:47






 興福院(こんぶいん)

寺伝では天平勝宝年間(749 - 757年)、和気清麻呂が聖武天皇の学問所を移して創建し、弘文院と称したという。

第2世の尼僧は、元大和郡山城主豊臣秀長の未亡人。
 
興福院

14:15



 大仏鉄道跡碑。

ここで解散。
 
大仏鉄道跡碑

我々10名は奈良駅スターバックスでお茶して帰る。

本日のドアtoドアの総歩行数:24,670歩。
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