漫歩マンの寿大学活動記録 | ||||
2008.10.19(日)
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卒業旅行(上高地〜乗鞍高原) | 1日目 |
10月20日 (2日目) | |||||||||||
6:00 〜 7:00 |
昨夜は「旅行中はみなの迷惑になるからお酒は抑えなさいね」とのオッ家内の言いつけを守り、飲む酒をぐっと押さえた。 お蔭で、まずまずの目覚め。朝食までの1時間、13名で朝の散歩としゃれ込んだ。 今日も快晴の天気だが空気が澄み切り少し寒い。梓川の水も澄み切りとても気持ちが良い。 朝が早いからか朝飯を求めてサルがもの欲しそうに橋の上に・・・。 ホテルから大正池へ目指すも朝食前の1時間しかないため田代池から引き返す。 ここアルプスはイギリス人の牧師で登山家ウオルター・ウエストンが1888(明治21)年から1915年まで3回にわたり来日、15年間滞在した。 ウェストンは上高地から山に登る時は、地元安曇村生まれの猟師上條嘉門次を山案内人として一緒に同行させ、その本の中で“ミスター・カモンジ”と紹介したので、嘉門次は有名な山案内人として、今日まで語られています。
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7:00 〜 11:00 |
朝食時、このホテルは市営となっていたので「松本市営の前は村営だったのですね。そのときの村はなんと言いましたか?」と尋ねると「安曇村上高地でした」と。 朝食後は8時から全員で明神池に向けてウオーキング。 梓川の横で絵を描いている人がいる。長岡氏が興味深そうに覗き見している。 彼も絵を描くだけあってカメラでの構図もとてもうまい。 川のほとりを歩いていると焼岳が見える。噴煙がほんの少しだけ見える。 山の名前を覚えるのがうまい人がいるが、須坂市出身の山岸氏も良く知っていて「あれが何処何処、あれが何々」と教えてくれる。 1時間で明神池に到着。 池にはカモが沢山泳いでいる。我々を見つけると遠くからスイーと近づいてくる。大勢の観光客が餌を与えるのだろう、人を怖がりもしない。 穂高神社奥宮の奥にあるのが荘厳なムード漂う明神池。ここは穂高神社の神域です。この針葉樹林に囲まれた神秘的な池はひょうたんの形をしていて、手前を一之池、奥を二之池と呼び、かつてはその奥に三之池がありました。池にはイチョウバイガモという珍しい水草が見られ、岩魚やマガモの姿も見られます。伏流水や湧水を集めた明神池は、常に6℃で氷結しないことで知られ、四季折々の風景が水面に映し出されます。
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11:00 〜 13:20 |
ホテルでの昼食の後、また大正池を目指す。 大正池は活火山である焼岳の大正4年の噴火のために梓川がせき止められて誕生した池である。
午後になるとものすごい人の数。人、人、人まるで銀座並だ。 細い道を道を譲り譲り歩くため時間がかかり、やはり時間的に大正池までは行けなくなった。 ホテルに戻ると支配人が「ホルンをやってみますか」といってくれるので教え通り吹いてみるがなかなか鳴ってくれない。 中西氏なんかうまいもんだ。 |
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13:35 〜 15:40 |
ホルンのあとホテルに別れを告げ、バスで乗鞍畳平へ・・・。 畳平では魔王岳へ急な階段を登らねばならない。それでもみんなフーフー言いながら登りつめる。
畳平を去る頃にガスが出てきた。 |
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15:40 〜 16:30 |
バスに乗り本日のウオークはおしまい。 国民休暇村を目指しバスはドンドン下る。カラマツ林が紅葉でとてもきれい。 こんな見事な紅葉はめったに見れないとみんな大感激。 |
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夜 | 国民休暇村乗鞍高原は今日は3団体が宿泊で大賑わいだとか。 夕食は上品にワインを飲んでのバイキング。 食後、阪神:中日戦をテレビ観戦しながら反省会。 残念ながら0:2で中日に破れ、クライマックス戦の望みも断たれ今年の阪神野球は終わった。 お休み・・・。 |
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本日のドアtoドアの総歩行数:約36,610歩。 |
10月21日 (3日目) | |||||||||
6:00 〜 7:00 |
起床。今日も快晴だ。 昨夜はすごかった。なにが・・・? T氏のイビキ・・・!。 ゴーゴーと往復。 一瞬止まった、これで静かになるかと思えど、なんの何の、グオーガオーと返しのすごいこと。一晩中繰り返された。 おしっこに1時間おきに目が覚めるマロにとってようやく寝付けたと思ったらグオーッ、参った。
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7:00 〜 10:30 |
昨夜に続き今朝もバイキング。 食事をしてみんなで朝のウオーキング。
ホテルからすぐ牛留池。牛をこの池で洗ったのかなと思っていたら、後でなるほどやはりそうだと分かった。 一人カメラマンが池を撮影しているのに「そこどけそこどけ」と言わんばかりに押しのけての集合写真。 牛留池から紅葉に囲まれた山道をドンドン下る。 そのあと湿原を。 晴れ渡った青い空、赤く、黄色く染まった山、足元の枯れ草それぞれがすばらしい。 湿原には牛を放牧していたのだろう。 牛留池の名の由来が分かりなるほどなあと自分で納得。 そばにワラビの自生地があり、そこに「この湿原では牛を放牧していたため牛の食べない草だけが残った」と説明板があった。 ホテルからドンドン下ったため、帰りの登りは大変だろうなあと心配していたが、善五郎の滝までチョッと登っただけですぐホテルに到着した。 |
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10:30 〜 13:45 |
ホテルからバスの帰途に。 このホテルは温泉だった。昨夜2度、今朝1度と3度入った。 バスは馬籠に向けてドンドン走る。 窓景色は「わあ〜わあ〜」と感動の連続の見事な紅葉! |
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13:45 〜 15:30 |
馬籠では「そば処まごめや」で昼食。 食後、馬籠の街を散策。
馬籠:中山道の難所といわれた峠越えのため当時、民間の陸路輸送機関として馬が使われ、人馬とも疲れを癒すため開けた。 街の中ほどを左に少し入ると「夜明け前」の藤村の墓があった。 街のはずれには「高札場」。 「定 一親子兄弟夫婦を始め 諸親類にしたしく 下等人に至るまでこれをあわれむべし 主人なる輩はおのおの其のその奉公に精を出すべきこと ・・・・・・ 奉行」と。ほかに「火付けを見たらすぐ届けろ」とか「喧嘩するな」とかいろんな通達が貼りだされていた。 街外れの展望台からは恵那山が眺められた。 |
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15:30 〜 19:30 |
帰りのバスは運転手氏ブンブン飛ばす。 一部の乗客はやれやれ旅は終わったとばかりに気楽に飲ませていただく。 井上氏差し入れの七笑い、堀下氏のいいちこ、我が物のように飲ませていただきありがとう。 例によって西川氏の愉快な漫談。 聞いていたら4時間の長い旅がアッという間に生駒に着いた。 お世話いただいた世話役の皆さん、ありがとうございました。 片山氏いわく 「大奥の中臈さまがたが 来年は7月頃 尾瀬に行く事に決めました」とのこと。 |
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本日のドアtoドアの総歩行数:約24,633歩。 |