2020.11.18(水)
 パノラマ明神山・達磨寺を巡る    にしき会
参加者 4名(総員22名)      担当⇒にしき会
   A班(2名)  B班(1名)   C班(1名)    D班(0名)
 片山・堀下・海老沢高橋水谷 山岸・酒井・長岡吉野中西 井上・清水・川端上田橋野 西川足立小宮山種井岡本

ここ数日暖かい日が続いている。
11月も半ばだというのにどこかでは「夏日」だという。
肌着を1枚減らして参加。

9:00
生駒駅集合。
我ら27期生は片山・堀下・酒井・清水の4名のみ。
総員では22名とのこと。

9:08
王寺行き電車はまるで貸し切り。
 
10:15
王寺駅からバスに乗り明神4丁目で降りる。
鳥居のある登山口から登山開始。
登山なんて言うととても大げさだが、今のワタシはこれもシンドイ!!

ここから登り始める

行者スタイルが歩いて行った

緩やかなのに足が進まない。アンカーを勤める。

200m 毎に標識が立てられている 

200m 毎に標識有り 
10:55
山頂にようやく着いた。
11時だというのにもう昼メシ。

明神山の鳥居
恋人の聖地 

3等三角点(273.6m) 

食後のお三方
12:00

12:25

下山は楽だった。
30分足らずで下ってこれた。
この後、バスで達磨寺へ~~

13:30
達磨寺着。

達磨寺山門

達磨寺本堂 
 14:21
達磨寺参拝を終え、徒歩にて近鉄王寺駅まで
15:30 自宅着。 


【達磨寺】

日本書紀』の推古天皇21年(613年)12月条や『元亨釈書』に見える次のような話である。

聖徳太子こと厩戸皇子が片岡山を通りかかったところ、飢えて瀕死の異人に出会った。
太子はその異人に当座の寒さと飢えをしのぐため、食物と自分の衣服とを与えた。
翌日、使いをやって異人の様子を見に行かせたところすでに息絶えていたので、丁重に葬った。

それからしばらくして墓の様子を見に行かせると、死体は消えており、衣服だけがきちんとたたまれて棺の上に置かれていた。
これを知った里人は、あの異人は達磨大師の生まれ変わりに相違ないといい、
聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりであるという。

(wikipedia より)

本日の歩数= 12,553 歩
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