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   2019.6.22(土) 
 参加人数= 35名
「有間皇子の邸宅跡を訪ねて」 
一分駅⇒無量寺⇒有間皇子邸宅跡⇒往馬大社⇒解散⇒菜畑駅

「生駒に縁のある二人の悲劇の王子」とのタイトルのもと生駒市レクレーション協会の行事に参加した。

有間皇子の変

有間皇子は640年に誕生した。
父の孝徳天皇が摂津の有馬温泉に湯治に行っていたときに生まれたのでこの名が付けられたらしい。
孝徳天皇は中大兄皇子(後の天智天皇)の叔父にあたるが、中大兄皇子と対立し遷都した難波宮で孤立し
失意のうちに亡くなった。 ・・・・・・・

斉明4年(658年)11月天皇等が白浜に逗留中蘇我赤兄が中大兄皇子の支配する皇位の奪回をそそのかした。
これは中大兄皇子と蘇我赤兄の謀略で19才の皇子は和歌山県海南市の藤白坂で処刑された。

                             (生駒市レクの案内文より抜粋)
9:30
近鉄一分駅に集合。

集まった人は35名(内スタッフが4名)
9:45
一分駅から約10分、無量寺に着く。
門前の石段に座って有間皇子の悲劇説明を受ける。

無量寺門前で

お世話役の方々
10:16
無量寺裏手から笹藪道を登る。
ここには御門(みかど)、御所藪(ごしょやぶ)等の地名が残っているそうな。

笹藪道を登る

ご説明を聞く

壊れた五輪の塔(ここが邸宅跡という)

有間皇子の歌クリック⇒「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」 ・・・万葉集より
10:47
邸宅跡から往馬大社へ移動。

往馬大社にて

長屋王についての説明を受ける 
11:19
往馬大社本殿まで登り、そこで解散。
ワタクシは菜畑駅まで歩く。
 本日の写真集⇒ Sway でどうぞ  
 生駒市レクレーション協会本部は⇒ こちらです。http://ikomasirec21.g1.xrea.com/index.html 







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