漫歩マンの 遊歩会活動記録
2012.3.7(水)
堺・まちあるき & 総会
コース:堺東駅〜方違神社〜古墳群〜天皇貯水池〜仁徳陵〜大仙公園〜日本庭園〜堺市役所〜堺東駅
H23年度最後の例会。E班担当宮本リーダー。
8:40 生駒駅集合。 







9:55

 堺東駅をスタート。
長尾街道を歩く。
 
長尾街道:堺は古くから日本の中心地であった奈良、京都の外港として発展してきました。
長尾街道は竹内街道と並び、堺と大和地方をつなぐ古くからの重要道路であり、さまざまな文物がこの道を通って奈良にもたらされ、また奈良から全国に広まりました。・・・・

10:05







 方違(ほうちがい)神社。  
方違(かたたがえ)とは:陰陽道(おんみょうどう)に基づく考え方で、平安時代に最も盛んに行われた風習です。外出の際、目的地が禁忌の方向に当たる場合、前夜に別の方角に行って泊まり、方角を変えてから出発するなど、直接目的地に行かず屈折して行くことで凶方を避けることを「方違え」と言います。
ご由緒にもありますが、方違神社の鎮座する三国ヶ丘は、摂津の国と河内の国と和泉の国の3つの国の境界地点です。この国境地は摂津の国から見ると南にあり、和泉の国からは北にあります。つまり南であり北でもあるので南北を相殺しています。同様に東西も相殺しているため、当地には方角が無いとされ、旅に出るときや家を移るときにお参りをすれば、一挙に三国を旅したことになり、おのずと「方違え」をしたことになると考えられてきました。

10:23
 住宅街を歩いて(18代)反正天皇陵。  
10:32


登録有形文化財、 旧天王貯水池。  
旧天王貯水池は、明治43年(1910)に計画給水人口6万人の規模の上水道配水池として建設され、昭和37年まで約50年間にわたり、その役割を担ってきました。
11:04



 天王貯水池から南進して、南海線を越え国道の跨橋を越えて銅亀山古墳。

ここでは「発掘調査中」とあり小山の周りを掘り起こしていた。
 
11:11 銅亀山古墳から住宅地の中を進むと(16代)仁徳天皇陵の外周に着く。
その周囲を半周すると天皇陵正面。
ボランティアガイドのおじさんが3人ほど観光客を捕まえて説明していた。
    
正面の濠では写真のようにゴミ掃除。 1年かけてやるそうな。
11:27 仁徳天皇陵のすぐ前は大仙公園、だがこの公園の大きいこと!
ぐるーっと廻って日本庭園。 入り口で年令証明すると無料で入れてもらえる。

 
 

   

 

12:00 日本庭園を出て大仙公園の池のそばの東屋で昼食。
13:00



13:25
 食後、少し時間があるからと堺市役所展望21階へ(地上80m )。

ここにもボランティアガイドがいた。
(堺にはこのガイドがなんと180名もいるそうな)

展望階からは仁徳天皇陵、ニサンザイ古墳、履中天皇陵等が見下ろせた。


市役所からあとは帰るのみ。
 
14:40 生駒に帰り着いて喫茶メルヘンで総会。
班長選出。
H24年度 班編成
 A 山岸  海老沢 小宮山  清水   高谷 
 B 井上 足立  岩富  橋野  水谷 
 C 馬場 上田 酒井  関川  西川 
 D 吉野 岡本  高橋  中西 宮本
 E 川端 片山   種井 長岡 堀下 
      ↑ ピンク欄が班長
15:40 味楽座にて15名の反省会。
17:00 立楽酒にて7名の反省会。
18:00 立楽酒にて4名の反省会。
本日のドアtoドアの総歩行数:27,885歩。
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