漫歩マンの寿大学活動記録 |
2009.12.4(金) | 堺市街〜仁徳天皇陵 | ||||||||||||||
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電車行程 運賃=640円 |
生駒駅 | ⇒ | 難波駅 | 徒歩 | 南海・難波駅 | ⇒ 和歌山行き・普通 |
七道駅 |
8:52 | 9:13 | 9:33 | 9:46 |
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今回はD班担当の企画。 「堺まちあるきマップ」をもとに10月に下見をしたそうだ。 |
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9:45 | 南海・七道駅前をスタート。 駅前には僧侶にして明治時代に日本人として始めてチベットへの入境を果たしインド仏典の原型のチベット語の大蔵経を入手したという「河口慧海」の銅像が目に付いた。
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9:50 | 鉄砲鍛冶屋敷。 戦国時代、堺は日本1の鉄砲生産地で、本屋敷は我が国で唯一の現存する江戸時代の鉄砲鍛冶屋敷。公開されていなかった。 |
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10:00 | 山口家住宅。
ボランティアガイドの説明によれば、江戸時代初期、大阪夏の陣の後に建築されたという。 ものすごい太さの柱、梁等時代を感じさせられた。数年前まで主が住んでいたと。 |
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10:40 | 妙国寺。 有料300円。
妙国寺は日蓮宗の学僧日bが開いたとされており、境内には樹齢1,000年を超える蘇鉄がある。 この蘇鉄の伝説は織田信長の時代にさかのぼる。 見事な蘇鉄を気に入った信長が、安土城に移植したところ、蘇鉄は毎夜「堺へかえろう」「堺へかえろう」と泣いたという。 信長は激怒して、「切り倒してしまえ」と命じました。 すると、蘇鉄は切り口から鮮血を流し、大蛇のごとく悶絶し、恐れをなした信長は、妙国寺に返したという。 また、明治維新初頭、鎖国から開国と激変した時代の「堺事件」。 解決のための「切腹」物語は強烈な印象を与えてくれた。 |
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11:30 | 与謝野晶子生家跡。 1878(明治11)年、晶子は老舗菓子商の駿河屋に生まれ、23年間をここで過ごしたという。 |
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11:40 | 千利休屋敷跡。 千利休は大永2年(1522)堺今市町の豪商魚屋(ととや)の長男として生まれた。 17歳のとき、北向道陳に茶湯を学び、のちに竹野紹鴎に師事し、織田信長、豊臣秀吉に仕えその茶頭として、わび茶を大成。 ここは更地で庭の飛び石と椿の井戸だけしかなかった。
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12:00 〜 12:50 |
このあと、土居川公園を通り抜け、堺市役所の21階展望ロビーで昼食。 21階というだけあって、地上80mの高さは周囲360度見渡せる。 |
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13:40 | 大仙公園内の日本庭園。 やはり65歳以上は無料。だが、門番代わりの守衛が「無料だが代わりにお茶を飲むように」と商売気をあらわに勧める。
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15:00 | 堺市博物館。 ここも65歳以上は無料。 |
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15:15 | 仁徳陵古墳。 ボランティアガイドの説明を受ける。
クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓。5世紀中ごろ築造され全長468mの日本最大の前方後円墳。
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クイズ:仁徳天皇は何才まで生きたでしょう? 答えは→ http://mannpomann.kt.fc2.com/16nintoku-20.htm#no.16 をクリック。 |
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17:00 〜 18:00 |
反省会。 今日はいつもの味楽座が満員のため、「鶏太郎」で12名が・・・。 みなさん、鶏太郎がお気に入りのようで「次回からはここにしようよ」ということに。 |
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本日のドアToドアの歩行数=22,920歩 |