漫歩マンの寿大学活動記録
2009.11.20(金) 太郎坊宮 
参加者: 11名
C班(2名) D班(2名) E班(3名) A班(1名) B班(3名)
酒井・高谷・高橋・長岡・山岸 足立・片山・小宮山・関川・橋野 海老沢・井上・川端・種井・清水 岩富・中西・西川・水谷・宮本 上田・岡本・馬場・堀下・吉野
電車行程
運賃=1610円
生駒駅 西大寺駅 京都駅 徒歩 JR京都駅 近江八幡駅 徒歩 近江鉄道・近江八幡駅 市辺駅
8:25 8:34〜8:38 9:18 9:30 10:04 10:13 10:26

行程:市辺駅〜万葉の森〜十三仏〜岩戸山〜箕作山(373m)〜赤神山〜太郎坊宮〜瓦屋禅寺〜八日市駅
8.3Km 3時間30分(+休憩1時間) 健脚コース
今回はいわゆる定例会ではなく、希望者ハイク。
酒井・山岸両名によるご案内。コース設定にあたり毎日新聞の記事を見、6月に下見をした由。
10:30 近江鉄道で貸切(?)電車で市辺駅に着き、そこからスタート。

ガラガラ電車
10:35 駅から線路を渡り、国道を横切り、そばの阿賀神社で準備体操。

阿賀神社

阿賀神社
10:45 阿賀神社から田んぼ道を歩くと船岡山、万葉の森。
ここは額田王が大海皇子と恋歌を交わしたといわれるところ。
歌の地として蒲生野短歌会が近代歌を石碑に刻みPRに努めている。

額田王と大海皇子の恋歌

近代歌
上の左の写真は額田王と大海皇子の恋歌の歌碑。
マロの万葉集のホームページに登載している。↓をクリック願います。
                     http://web1.kcn.jp/mannpomann/index17.html
「茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流」(巻1-20)額田王
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
11:20 岩戸山・十三仏登山口から山に入る。
道はかなりの急坂で息が弾む。が道中道脇には「新四国八十八ヵ所」として1番札所から順々にお地蔵さんが祀られており気が紛れる。

ここから山道

坂道には八十八ヵ所

しかし、この坂道、しんどいぜ。
途中、ガン封じのお宮さんもある。ガンよりボケ封じをお願いしたいが・・・。
そこには写真のように“雪”が積もっていた。本当にまるで“雪”。舐めてみたら“塩”だった。

ガン取大神

雪か・・・塩だ
11:50 しんどい坂道を登りつめるとようやく、箕作山(373m)・十三仏。
「東大病院でも治らなかった大病の娘の病気がここへお参りしたらあっという間に治った」というご婦人が「以来毎月お参りしている」と言っていた。

十三仏境内

十三仏境内

ここで昼食。毎度皆さんからお菓子、コーヒー等々のサービス。
12:40 食後、また少ししんどい思いでアップダウンを繰り返し、小脇山(373.6m)。

小脇山三角点

小脇山
13:25 またまた、アップダウンして赤神山(350m)。

赤神山頂上にて

遠くに歩いてきた箕作山

赤神山は義経を教育した鞍馬の次郎天狗の兄・太郎が住んでいたといわれ、今も修験者の道場となっています。
独峰なので山頂からの眺めはパノラマですばらしく、琵琶湖や鈴鹿山脈を遠望できる。

13:45 赤神山(350m)、太郎坊宮に着いた。

太郎坊宮

太郎坊宮にて

太郎坊宮
太郎坊宮:正称は「阿賀神社」、創祀は1400年前で神体山信仰の発祥の地といわれている。
       岩山にへばりつくように建てられた拝殿も巨岩を利用したもので、大岩の間を縫ってたどり着きます。


大岩の間を抜ける

なぜ、太郎坊か?
むかし、義経を教育した次郎天狗の兄、太郎が住んでいたといわれる。


ここまでは健脚コースと言われるだけあって苦しかった。
あとは下りで大丈夫。

太郎天狗
14:35 瓦屋禅寺。
参道から見事なモミジ。サイコー、サイコーとみな口を揃える。
酒井・山岸両氏に感謝。

瓦屋禅寺

瓦屋禅寺の参道
15:50 下山して駅前の喫茶店でコーヒーの人、ビールの人それぞれ反省。
17:55

18:15
堀下氏とはぐれたので西大寺駅構内「豊祝」の立ち飲み屋で川端・西川・山岸・上田・清水の5名が待ちながら反省?。

20:20
ケータイ連絡のあった堀下氏と合流し、堀下・山岸・清水の3名で生駒・味楽座で反省会。
すばらしいコース・すばらしいモミジ・サイコーでした。
酒井・山岸さんありがとう〜〜。
本日のドアToドアの歩行数=24,302歩
 
inserted by FC2 system