漫歩マンの 寿大学活動記録
2009.4.2(木) 京都疎水ウオーク 
(琵琶湖疎水から南禅寺へ) 
参加者:21名
岩富・海老沢・関川・種井・橋野・馬場(女性=6名)
足立・井上・上田・岡本・片山・小宮山・酒井・清水・高橋・高谷・西川・堀下・水谷・宮本・山岸(男性=15名)
生駒駅
準急
西大寺駅
急行
京都駅
JR京都駅
大津京駅
徒歩
京阪皇子山駅 三井寺駅
8:06 8:13〜8:25 9:04 9:19 9:29 9:38 9:42
今日は寿大学を卒業しての始めてのハイキング。
担当は1班、西川班。
9:45 準備体操をして三井寺駅をウオーキング、スタート。

今日は寒い!遠く比叡山にはうっすらと雪化粧。
疎水の堤防を歩くとすぐ眼の下にはきれいな琵琶湖からの水が流れている。

堤防の桜

疎水の水門

ここでクイズ@:川の堤防にはよく桜並木が植えられているがその目的、役割は何か?(数日前のテレビでのクイズから)

クイズ@の答え:川の土手に桜の木を植えることによって花見客を大勢集め、踏み固めてもらい堤防を強くし、川の決壊を防いだ。八代将軍吉宗の発案とされる。
10:08 三尾神社。
三尾神社の近所には大津絵の工房が・・・。

大津絵

ここから小越峠を越えて京都に入る。
途中峠の手前に「喜一堂」というお地蔵さんが祀られているが、そこまでの坂道が結構しんどい。
気温は低いけれど体は汗ばんでくる。シャツを1枚脱ぐ。

喜一堂
10:45 峠を下ると「普門寺」。

普門寺

小越越えでせっかく脱いだシャツを寒さのためまた着なおす。


疎水のきれいな水

水を飲むサギ
12:00 天智天皇陵の裏手あたりの永興寺前の広場で昼食。
すぐそばではバーベキューの匂いを流してくれるグループあり。

クイズA:この疎水はいつ、誰が造ったか?
13:00 午後は日ノ岡から一旦国道に出てコンクリート道を歩く。
昔、近江大津から都に物資を牛車・馬車で運び、その道に轍が出来た。
その深く掘られた轍石が残されている。

写真左端が轍の溝
13:15 国道を歩き、ウエスティン都ホテル前からインクラインに入る。

この台車に船を載せて運んだ

ちょっと写真を

クイズAの答え:京都と琵琶湖を結ぶ水路「琵琶湖疎水」は、水道用水の確保と、船での交通の充実を図るために明治時代に建設された。
インクラインは、船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための線路の跡である。
当時都が東京に変わり寂れる京都をなんとか復興させようとの一大イベントであった。
過酷な工事のため日ノ岡の囚人まで狩り出された。
今は使われなくなった線路と記念に残された台車と船が、明治時代に京都を水上輸送都市にしようとした技術者(田辺朔郎)達の夢の名残を、伝えている。
13:35 南禅寺。

南禅寺

水路閣
クイズB:ふつうお寺のサンモンは「山門」と記すが、ここ南禅寺では「三門」と記されている。なぜか?

クイズBの答え:三門は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門、この門をくぐり三つの煩悩から解脱する。
 三つの煩悩とは
・「貪(トン)」=貪欲・我欲(万の物をむさぼる心)
・「瞋(シン)」=我に背くことがあれば必ず怒るような心。
・「痴(チ)」=愚癡(ぐち:愚痴)、我癡、また無明ともいう。 万の事物の理にくらき心をさす。


  建築史的見解では、初期の寺院の門構えは南面する正門、東西二つの副門から構成されており、これを称して三門と呼んだという。

この三門で歌舞伎、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と大見得を切ったことで有名だとか。

お寺の前の大きな枝垂れ桜
14:10 琵琶湖疎水記念館。
ビデオを見ながらインクラインの歴史を勉強。
14:40 国際交流館。
コーヒータイム。
16:30 10名の反省会。

本日は桜と水のすばらしいコースを第1班の方々のご案内をありがとう。
次回、第2班のコースも期待しています。
本日のドアToドアの歩行数: 29,985歩。
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