漫歩マンの 寿大学活動記録   
2009.3.16(月) 青春切符で余呉湖・賤ケ岳421.1M
参加者:18名=西川・足立・井上・上田・海老沢・片山・川端・小宮山・酒井・清水・関川・高谷・高橋・種井・中西・馬場・堀下・吉野
往路 生駒駅
快急
JR鶴橋駅
環状線
大阪駅
米原駅
余呉駅
7:15集合 7:50 8:21 10:04 10:31
復路 余呉駅 大阪駅 鶴橋駅
15:30頃 17:30頃 18:00頃
寿大学卒業後初めてのハイキング。西川氏の青春切符で行こうとの呼びかけに18名が集まった。
生駒駅に集合して、鶴橋駅で青春切符でJRに入る。
10:40 余呉駅で準備体操の後スタート。
ほかにも青春切符のハイカーが一組いた。

スタートし数分歩くとすぐに坂道に入る。
道は雨後のためぬかるんでいる。

ぬかるんだ坂道を行く
10:55 山道の両側は杉の木、檜の木。檜にはビニールテープが巻いてある。掘下氏や小宮山氏と「なんだろう?」と首を傾げる。
「シカよけやろ」とマロがいうも巻いていない木もあり、どうも自信がもてない。
「枝打ちする木を印しているんやろ」と堀下氏。しかし上の方まできれいに枝打ちされている木にも巻かれているので「・・・?」

シカよけのテープ

あとで分かったのは、やはり“シカよけ”だった。大切にしたい木にだけ巻いているんだそうだ。
11:15 余呉八景の一、青嵐大岩山。

青嵐大岩山石標

中川主従の墓

大岩山の石標から上に入ると中川主従の墓があった。
中川主従:織田信長亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が雌雄を決したのが賤ケ岳の戦い。余呉湖が血潮で紅に染まったと伝えられるほどの激しい戦いが繰り広げられた。
そのなかで勝家方の中川清秀は秀吉側の佐久間盛政の奇襲に会い奮戦したが力及ばず全滅。

11:55 大岩山から40分ほどぬかるみ道を登り小休止。
マンサクが咲き始めていた。

小休止

咲き始めのマンサク
12:25 賤ケ岳山頂(421m)に着いた。

山頂から余呉湖を見下ろす

山頂の一武将の像

山頂からは余呉湖が見下ろせ絶景だ。

一武将の像もある。
この像に対しマロのどうでもいい一言。・・・戦いに疲れ果てた感じが良く出ている。そのわりにはマゲがピンと立っている。疲れ果てたら汗だらけで髪の毛はだらりと落ちているはずだ。

関連知識:サムライは戦争のときに兜をかぶる、兜をかぶると汗でむれるので頭のてっぺんの髪の毛は皆剃った。それがサムライの象徴として月代になった。
また兜をかぶるときにはマゲはおろしザンバラにした。

なお、町人たちにも月代があるのは強い人への憧れから皆が真似しそれが風習、習慣となった。
13:00 昼食後集合して7月のイベント尾瀬旅行の説明がある。

集合写真前
14:00 午後はドンドン下ると国民宿舎余呉湖荘。

ドンドン下る

国民宿舎余呉湖荘

余呉湖荘からあとは余呉湖岸を半周する。道端にはフキノトウがいっぱい。

フキノトウ
15:05 天女羽衣掛の柳。

天女羽衣掛の柳
「天女の昔話より」⇒
 余呉湖のそばの川並のあたりに、桐畑太夫という人がいて早くに妻と一人娘を亡くし、朝は山に登って、昼には湖に舟を出して寂しさをまぎらわしていました。
 その日も舟を出していたところ、どこからか美しい音とともに良い匂いが漂ってきたのです。「一体何だろう?」とあたりを見回してみると、女の人が水浴びをしているのが見えました。太夫は近くで良く見てみようと匂いに誘われるようにして、舟を岸につけて木の陰からそっとのぞいてみました。すると、その女の人はそれまで見たこともないくらい綺麗な人だったのです。ふと、そばにあった柳の枝に掛かっているものが目に留まりました。それは、蜻蛉の羽のように透き通っていて、ふんわりとしてやわらかく、なんともいえず良い匂いのする衣でした。
 太夫は珍しい衣が手に入ったと喜び、その衣をサッと懐に隠してしまいました。そこへ、女の人が湖から上がってきて柳のあたりでなにやら捜しているようです。
 太夫は近づいていって女の人に尋ねます。「あなたは一体何者です?」すると女の人は驚きながらも答えます。「私は、地上の者ではございません。天の国に住まう者です。あまりの余呉湖の美しさに、毎年一度天から降りて、この岸で水浴びをするのです。けれど、そのためにこの柳に掛けておいた羽衣が見当たらないのです。あれが無くては私は天に帰ることができません。あなたは、ご存知ありませんか?」と太夫に問いかけますが、太夫はとぼけて知らぬふりをしました。
 これでは天に帰れない、と嘆き悲しむ天女に太夫は「それならば、わしの所に来い。」と優しく声をかけて連れ帰りました。それでも、天女は天に帰りたいと一言も口を利かずに空を行く鳥たちを見つめていました。太夫はそんな天女を優しく慰め続けていました。するとそのうちに天女も心を開くようになり、二人は夫婦となりました。
 やがて、二人の間には玉のような男の子が生まれて、大切に育てていました。近所の人たちからも可愛がられていました。そんなある日、太夫は、羽衣もずっと隠しておいては傷んでしまうと思い、羽衣を虫干ししておきました。それを見た天女は、自分の羽衣が見つかったことを喜び、身につけましたが、子どものことが気にかかって太夫のもとに向かいました。そして、太夫に「私は天に帰りますが、子どもはここに残していきます。どうぞ私の形見だと思って大事に育ててください。」と告げると、羽衣をひらひらと風になびかせながら天高く舞い上がっていってしまいました。というお話です。
 残された男の子は菅山寺に預けられ、後に菅原道真となったという伝説もあります。

15:13 余呉駅着。

余呉駅

余呉駅ホームにて

余呉駅からは湖西周りで京都経由大阪へ。
電車の中では今朝が早かったので良く寝た。
18:30

19:10
生駒駅に着くと例によって有志のみの味楽座で13名の反省会。
この店、今回で3度目だがまた勘定のミス。しっかりしろ!

ともあれ、天候に恵まれ楽しい1日のご提供を西川様ありがとうございました。

自宅では本日の成果、フキノトウでちょっと一杯。おいしかったよ。

http://atsites.jp/mannpomann/070507.htm ←は前回登山時のHP
(リンクしない場合は「漫歩マンの山行記録」:2007年5月7日より)
本日のドアToドアの歩行数: 25,829歩、総労働時間:約13時間。
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