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 漫歩マンの寿大学活動記録
2008.11.5(水)
卒業学習会 勝軍寺・野中寺・叡福寺・近つ飛鳥博物館
4年間、共に学んだ学生同士が、校外学習として他市町村の文化施設や文化財を見学し知識を深めると共に、学生相互の親睦を深め、卒業後の学習活動継続のきっかけづくりとすることを目的とする、との目的のもと

大阪南河内方面を学習した。
8:45 市役所をバスでスタート。
出席者は25名中24名(1名欠席)。
9:40

10:10
下の太子・大聖勝軍寺

本論に入る前に寺の前は異様な匂いがする、なんだろな?と隣の人に尋ねると「くみとりだろ」とのこと。
大阪にもまだ下水浄化が完備できていないところがあるんだ。
寺の道路を挟んだ前には天童よしみのお家。

天童よしみの家

大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)は大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。

開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。
聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、野中寺の「中の太子」に対して、ここ大聖勝軍寺は下の太子」と呼ばれている。


大聖勝軍寺山門

神妙椋樹の中の聖徳太子

寺伝では、聖徳太子が、渋川の阿刀の館にいた物部守屋を滅ぼすにあたって、信貴山の毘沙門天に祈願し、四天王を祀ってその加護により守屋を討って、戦勝を得ることが出来たので、難波の高台に日本仏教最初の四天王寺を建立し、この渋川に勝軍寺を創建して、自身十六歳の植髪(うえがみ)の太子像と四天王像を安置したという。

 本堂の太子殿には、太子植髪像を安置し、その脇に弓矢を持つ四天王像を祀っている。これは4人の関係者をおのおの四天王になぞらえたもので、右から持国天(蘇我馬子)、多聞天(秦川勝)、広目天(迹見赤檮)、増長天(小野妹子)の四体となっている。

11:15

12:30
中の太子・野中寺(ヤチュウジ)。
ここでは住職さんのお話を聞き寺の境内を見学、昼食。

金銅弥勒菩薩(重文)思惟半跏像

地蔵菩薩像(重文)
写真左の像は天智天皇時代の作で台座には「・・・弥勒の像・・・」との銘文があり、飛鳥時代から「弥勒」と言っていたことが分かる・・・、と。

写真右の像は鎌倉時代の作で江戸時代初期に109代・明正天皇(女帝)が皇子の子育哀護を祈られ願いがかない安産子育地蔵尊として信仰を集めるようになった、・・・と。

部屋から庭に出ると樹齢400数10年というお染久松の「縁結び山茶花」。
枝と枝がくっついている。これが縁結びといわれる所以。

縁結び山茶花

枝がくっついている

寺の裏手のほうにはお染久松の墓。
享保7年に油屋豪商天王寺屋が建立したという。

お染久松の墓
12:45

13:45
午後は上の太子・叡福寺

叡福寺は先月「太子町歴史の道ウオーク」で歩いたばかり。
その際は教えてもらえなかったこと、今日学んだのが聖霊殿。1574年に織田信長の兵火に遭い、1603年に豊臣秀頼に再建された。
そのことが高欄の擬宝珠に刻銘がある。

豊臣秀頼再建の聖霊殿

擬宝珠に秀頼の刻銘
14:00

15:00
最後は府立近つ飛鳥博物館。

館内では音声解説システムで展示品の前でいろんな説明を聞かせてもらえる。
テーマは「日本古代国家の形成過程と国際交流」、古代の埴輪・古墳の模型等々が展示されていて、1時間では物足りない。

バスの中

ここまでで本日のお勉強はおしまい。
16:30

17:30
あとはバスで生駒に帰り例によっての反省会(16名)。

反省会では未楽座の会計がお粗末で不愉快であった。
本日のドアtoドアの総歩行数:約12,964歩。
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