漫歩マンの寿大学活動記録
2008.2.19(火)
山之辺の道(北部)
集合場所まで 近鉄生駒駅
快速急行
近鉄奈良駅
8:59 9:17
山之辺の道を歩くということで近鉄奈良駅に集まったが、男子12名女子4名。いつもより少しメンバー数が少ない感じ。
海老沢・関川・馬場・橋野・川端・片山・井上・水谷・中西・足立・高橋・西川・岡本・酒井・堀下・清水。
9:40 近鉄奈良からスタートして興福寺境内を通る。

興福寺五重塔
10:20 春日大社のささやきの小径を通り抜け、昔住んでいた高畑を通過すると新薬師寺。

 新薬師寺は聖武天皇眼病平癒祈願の為、天平19年(747)勅願により光明皇后によって建立された。新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく霊験「あらたかな」お薬師様という意味である。

新薬師寺山門

新薬師寺をすぎると五色の椿で有名な白毫寺、今日は入らずに通り過ぎしばらく行き林道を行く。

白毫寺を過ぎて

このまま林間を歩けるのかなと思えば林道はすぐに終わる。
八坂神社を参拝し自衛隊の官舎を左手に見て歩く。
12:00前 白山神社で昼食。
ポカポカ日当たり良く暖かい。

白山神社にて
昼食後は例によって皆さんからおやつのプレゼント。
コーヒーは女性から・・・。
12:45 昼食後すぐに崇道天皇陵に着く。

崇道天皇陵表札

崇道天皇陵
崇道“天皇”とあるが、マロの天皇名の記憶からはどうしても“崇道”という文字が出てこない。
歴代天皇125代の名は暗証しているので、初代神武天皇から125代平成天皇まで名を唱えるも“崇道天皇”の名がやはり出てこない。
家に帰ってから調べたら、

崇道天皇は、早良親王に与えられた「追号」である。早良親王は、父、光仁天皇(四十九代)と母、高野新笠との間に生まれ、兄は桓武天皇(五十代)である。はじめ出家したが、父、光仁天皇が即位すると親王となり天応元年(781)、兄、桓武天皇の即位と同時に皇太子となった。

とあった。
13:00 円照寺。
きれいに手入れがなされている。拝観はしていませんと立て札がある。拝観料・賽銭も取らずによく維持出来るなあと感心していると門跡寺院とあった。
別名山村御殿といわれ華道山村流家元と。

円照寺

円照寺
「門跡」の起源は、宇多法皇が仁和寺に入室したことに始まるとされている。
本来「門跡」とは、師資相承して法脈を伝える「門葉門流」の意味で、祖師の法統の継承者を指す言葉として用いられていたものである。

皇族や攝関家等の子弟が出家した僧房では、各門流を各々継承することになり、「門跡」とは、皇族その他の出身者によって相承される特定の寺院を指す称号へと変化した。
そのため、今日、「門跡寺院」と称するのは、こういったやんごとなき方々によって相承された特定の寺院を指すようになった。

円照寺でのトイレ休憩を終え岡本氏はここで分かれる。
我々は田んぼの畦道を帯解寺へと歩む。案内役は川端氏?こんな道を良く知ってるなあと感心。
帯解小学校のそばの民家には立派なサボテン。

大きなサボテン
13:30 帯解寺着。

今から約千年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。
文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。
帯解の名称はここから始まりました。


帯解寺本堂
14:40 帯解寺から1時間も歩くと奈良町界隈。趣の感じられる町並みだ。

奈良町風景

奈良町風景
15:00 近鉄奈良駅着。
駅構内のスターバックスにてコーヒータイム。
16:00

17:20
生駒に帰り、いつもの味楽座で反省会。
水谷・西川・川端・中西・井上・片山・堀下・清水の8名。

今回のハイキングの案内をファックスで連絡されたのが、見にくかったとか、年寄りには大きな文字で書いてくれとか反省材料があった。
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次回行事は3月5日==卒業式。3月11日======三角点巡り。
本日のドアtoドアの総歩行数:約32,000歩。
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