漫歩マンの寿大学活動記録
2007.7.25(水)
仲間ハイク・天王山からサントリー 
約15Km
昨日梅雨明けした翌日のハイキング。暑いだろうなあ、と不安な思いで出かけたが・・・。
時に涼しい風があり、・・・。
8:15 西大寺駅に集合し、8:25 京都行き急行に乗車。
残念ながら座席に座れず、先頭車両から運転手の操作を子供の気分で見ながら京都まで。
9:18 JRで京都から山崎へ。
9:32 山崎駅を出発。
山崎駅から山に向かって鉄道沿いを右(東)へ少し行き、踏切を渡る。すぐに天王山登山口があるが更に東へ足を進める。
9:40 山崎聖天さんからの登り口から登るようだ。

山崎聖天への登り口

山崎聖天の鳥居
鳥居から急な石段を登りつめると聖天さんの観音寺本堂。
桔梗の花が咲いている。

鳥居の裏手から急な石段

観音寺本堂

境内の桔梗
観音寺から登山道を旗立松へ足を進める。暑い、蒸し暑い。

皆がゆっくり歩いているので先に行き、旗立松・酒解神社鳥居で高谷・長岡氏3人で後続を待っているもなかなか来ない。

またここの展望広場には明智光秀と秀吉の合戦絵巻説明陶板があり、昔の合戦場が見下ろせる。

観音寺から旗立松へ

酒解神社鳥居

説明陶板
蚊がブンブンと体の周りに集るのを我慢しながら、20分ほど待ってもまだ来ない。
10:35
いつも散歩で歩いている、といった感じの登山者に「下のほうに登山の団体がいましたか?」と尋ねると
「いたよ。一人倒れて救急車を呼んでいたよ」と。
えらいこっちゃ、とすぐ引き返すとN氏が倒れており救急隊の人が担架に乗せようとしている。

付き添いに川端・吉野さんが付いていった。

我々は予定通り前に進む。

10:45 ようやく残り17名全員が旗立松に揃った。
旗立松はこの合戦のときに秀吉が味方の士気をを高めるため「千成瓢箪」の旗印を掲げたところといわれる。

旗立松前
10:54
十七烈士の墓。

幕末「蛤御門の変」に敗れて京都を追われた真木和泉ら尊皇攘夷の烈士が、新撰組に包囲されて退路をなくし自決した。そうだ。

十七烈士の墓
三社宮を経て
11:10 天王山山頂(270m)着。

天王山山頂

天王山山頂

少し早いが昼飯休憩。木陰に涼しい風があり気持ちいい。
全員の写真をよその人にシャッターをお願いし2枚も撮ってもらったが、残念ながらブレており××。

山頂広場の西一段下の広場には秀吉時代に使ったという井戸の跡がある。
こんな山の上でも掘れば水が湧いたのだ。
サントリーがこの山から出てくる水を使っていること、うなずける。

説明板

井戸の跡
12:00 午後の部スタート。
12:30 宝積寺(ホウシャクジ)着。

聖武帝は奈良の都より乾(北西)の方角に、勝地を求めるよう、行基菩薩に勅命された。 そして神亀元年この天王山の中腹に伽藍を建立さえることとなり、打出と小槌を御神器をして奉納され、 爾来当時を補陀落山 宝積寺、宝寺と称するようになった。

宝積寺本堂

一夜の塔
羽柴秀吉は山崎合戦のおりには当寺を本陣とし、戦勝後は一年余り当寺に留まり、その間当寺境内の真ん中にあった『石』に座り、天下取りを志したと伝えられている。また主君 織田信長の霊位を弔うと共に毘沙門天の加護による戦勝にたいして、一夜にして三重塔を建て礼を尽くしたと言われている。
12:42 宝積寺から大山崎山荘美術館へ向かっていると美術館すぐ手前で中西・吉野・川端氏がタクシーから降りて我々と合流できた。

美術館遠景

美術館入ったところ

睡蓮池

入館に際し我々はちょうど20名なので団体割引され700円のところ600円。
岡本氏は美術通のようでここに3回も来ているとか・・・。飾られている陶器にも詳しい。
1時間あまり美術館で過ごし、本日のメイン、サントリーへ向かう。
15:00 サントリー山崎蒸留所見学。
ここは天王山からの天然の水を使い、モルトを原料に蒸留している。
最初に蒸留した元のアルコールの段階ではアルコール度70%もあるそうでそれに又水を加え二度蒸留するらしい。

30分見学した後、ウイスキーの試飲をさせてくれる。
試飲は「山崎」と「白州」。個人の好みによるが山崎のほうがうまい、飲みやすい。

工場に入る、since1923とある

懐かしいポスター

懐かしいポスター

案内・説明嬢

蒸留窯

16時まで見学し、あとは帰路。山崎駅まで戻り、京都へ。京都から生駒へ。
なぜか本日は反省会はなし。

17:20 自宅帰着。
夕食では早速「白州」のビンを開け、オンザロックを楽しんだ。
本日のドアtoドアの総歩行数:約25,000歩、約17Km。
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