2007.1.27(土) 観梅(大和民俗公園) |
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ゆーほ例会下見:12Km(本番は3月17日)。参加者:27名。 |
今日は3月17日の本番に向けてのゆーほ例会の下見。近鉄郡山駅に集合したメンバーは27名。 久しぶりに風が冷たく、少しうれしい気持ちになるが・・・。 |
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10:00 | スタートの時間になったので西塔リーダーを先頭に郡山城に向けてスタートする。 |
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10:10 | スタートしてすぐに郡山城・追手門に着く。 本番ではここが集合場所になるそうだ。何人くらい集まるのかな? 先日の「大阪史跡探訪」の茨木では300人を超える人数だったが・・・。 |
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10:40 | 大納言塚に着く。 郡山城・城下の基礎を築いた羽柴(豊臣)秀長は、天正19年(1591)1月22日、郡山城内で没する。秀長は51歳であったが、その死が豊臣家の滅亡を早めたともいわれているほど、できた弟。 唯一人の弟を失った秀吉は、その死を深く悼み、当地に葬り、菩提寺大光院を建立し、院主に京都大徳寺の古渓和尚をあてて、墓地の管理と菩提を弔った。 |
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10:55 | スーパー・アピタ。 2年ほど前に出来た大きなスーパー。(本籍は名古屋かな) 20分ほどトイレと弁当の買い物の休憩。大久保氏は立派な弁当を買っていた。 スタートしてしばらくすると誰かが「一人足りない・・・」と言い出した。 人数を数えると26名しかいない。三浦氏という人がいない。世話役の数人が探しに戻ったが見つからない。 やむなくそのまま進む。団体行動はむずかしい。 |
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12:00 | 奈良高専の裏を歩いて大和民俗公園。 本日のウオーキングタイトルは「観梅(大和民俗公園)とあるも、今のところ梅は「つぼみ固し」。 蝋梅が代わりにいい香りを漂わせていた。
菖蒲園で40分ほどの昼食休憩の後午後の部スタート。 朝方は風が冷たいと思ったが、午後はやっぱり暖かくて汗ばんできた。 郡山市と奈良市の境に富雄川が流れているが、その堤防の下に西塔氏の畑があり見学。 西塔氏は畑からワケギやネギを引っこ抜いてきて皆にふるまう。 |
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13:40 | 大池から薬師寺を望む。 西塔氏の名はこの塔に因縁があるとか・・・。 |
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13:50 | 浄瑠璃宮・薬師寺着。 一般的にはお寺には寺名に山号が冠されているが、当寺は「浄瑠璃宮」が冠されている。 山号とは、寺が山に立てられた時代に、所在を示す意味でその山にふさわしい山号がつけられたといわれるが、仏教発祥の地インドには山号はない。 飛鳥・天平時代の日本では、寺が平地に建てられたため山号がなく、平安時代に山上に建てられた寺では比叡山、高野山など山の名を寺名の上に付けたが、これは山号ではなかった。鎌倉時代にいたって日本に禅宗と共に五山・十刹の制度が伝えられるや、この制度により禅宗寺院では寺の所在を示すに相応しい山号が付けられた。これが他宗の寺院にも伝搬して、平地の寺院にも山号が付けられるようになった。しかし、浄土真宗系の寺院では山号を付けないものもある。東西の本願寺は山号をもたない。 当寺の浄瑠璃宮についてご存知の方は教えてください。 本番ではここで解散して西ノ京駅までは引率するという。 |
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14:10 | 西ノ京駅前で皆と解散してから、有志で駅前のおでんや「幸」で「はんせーい」。 メンバーは西塔、広田、羽田野、古谷、清水の5名。 ここの女将の「さっちゃん」、亭主と二人で店をやっているがなかなか面白い女将でいろんな話題を提供してくれた。 18歳で嫁いで来て42年という。 |
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16:00 | 自宅帰着。 本日の総歩行数:26,642歩、ドアToドア歩行距離:約18km。 |